こども政策を一元化するために新設が議論されていた「こども庁」。
新設自体の要否や当否はここではさておき、この度、庁名が「こども庁」ではなく「こども家庭庁」に改めることとなったそうです。
このことについて私は非常にがっかりしています。
たしかに多くのこどもは「家庭」で生活し、成長します。
しかし、そうでない事情のこどもも少なくなく、そのようなこどもたちのことを見捨てたかのような名前に感じるのです。
加えて、従前からの自民党の発送にありがちな「家制度」を念頭に置いたような名前であることも残念に思う理由です。
本来、こども庁の発足はこども自身を権利の主体と捉え、その成長のために必要な政策を一元的に担う庁とすることだったはずです。
それなのに、「家庭」が入るこむことでこどもの主体性は脇に追いやられてしまいそうです。あるべき「家庭」の姿が強調され、その結果、あるべき「こども」の姿が勝手に作り上げられないか、そこから外れたこどもへの支援が抜け落ちはしないか懸念しています。