2021年3月26日付けで次のような報道がありました。
公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは3月26日、全国2万人の大人や約350人の子どもを対象とした「子どもに対するしつけのための体罰等に対する意識・実態調査」の結果を公表した。同25日に報道陣向けの説明会を開いた。
同様の調査は、2017年7月にも大人2万人を対象におこなわれており、今回の調査では体罰の意識などの変化を経年比較することを主な目的とした。しつけのための体罰を容認する回答者が「56.7%」から「41.3%」に減少するなどの変化がみられたという。
上記調査の結果によれば、体罰容認の回答が以前の調査よりも「減少した」とのことです。
ただ問題は、そもそも日本においては、何をもって「体罰」と考えるかということを明確にできておらず、意識の差がある点です。
たとえば、年代によってはお尻をたたく、手の甲をたたくなどの体罰については約半数が容認する回答もあったとのことです。これは、おそらく、この程度の体罰は「しつけ」として容認されるとの意識に基づくと思われます。
この点、体罰の禁止について分かりにくいのは民法822条に親権者による「懲戒権」の定めがあることにも一因があります。同条の懲戒権については削除すべきだとか、内容を改正すべきだ(純粋な「しつけ」のみが許容されるような内容にすべき)とかといった議論がありますが、現時点では改正になっておりません。
他方で、児童虐待防止法にはその14条1項で「児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、体罰を加えることその他民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲を超える行為により当該児童を懲戒してはなら」ないとしています。
そのため、「体罰」が一切禁止であることは明らかなのですが、そうすると結局、「何が体罰」で「何が体罰でない」のかといった点に話が舞い戻ってきます。
しかしながら、上記の民法822条の規定において「具体的に何が懲戒権の範囲なのか」とか、児童虐待防止法において「具体的に何が体罰なのか」が明らかとはされていないのです。
そのため、冒頭のように何が体罰かの意識格差が生じてしまっているのです。
この点、国連子どもの権利委員会では、子どもの権利条約に定める体罰の禁止について、次のように整理しています。
【子どもの権利委員会 一般的意見8号より】
委員会は、「体」罰を、有形力が用いられ、かつ、どんなに軽いものであっても何らかの苦痛または不快感を引き起こすことを意図した罰と定義する。ほとんどの場合、これは手または道具――鞭、棒、ベルト、靴、木さじ等――で子どもを叩くという形で行なわれる。しかし、たとえば、蹴ること、子どもを揺さぶったり放り投げたりすること、引っかくこと、つねること、かむこと、髪を引っ張ったり耳を打ったりすること、子どもを不快な姿勢のままでいさせること、薬物等で倦怠感をもよおさせること、やけどさせること、または強制的に口に物を入れること(たとえば子どもの口を石鹸で洗ったり、辛い香辛料を飲み込むよう強制したりすること)をともなう場合もありうる。委員会の見解では、体罰はどんな場合にも品位を傷つけるものである。これに加えて、同様に残虐かつ品位を傷つけるものであり、したがって条約と両立しない、体罰以外の形態をとるその他の罰も存在する。これには、たとえば、子どもをけなし、辱め、侮辱し、身代わりに仕立て上げ、脅迫し、こわがらせ、または笑いものにするような罰が含まれる。
https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/child_gc_ja_08.pdf
このように、国連子どもの権利委員会においては、体罰について具体的な明示をし、決して身体に対する有形力の行使に限定していません。子どもの品位を傷つける行為を禁止し、広く「体罰」の廃絶を目指しているといえます。
このような国連の見解を踏まえると、日本においても体罰の定義の明確化が今後重要になると思います。その際には、子どもの品位、尊厳という観点から構成されることが不可欠です。また、私たち大人は、国連の上記見解を肝に銘じ、子どもと接することが課題といえます。