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「出来ないこと」、「苦手なこと」を知るという「学び」

学校の勉強とは基本的に、どの教科をどの教科書で、どのように学習するか大きな枠組みがしっかりと作られています。

子どもたちは小学校に入学してから、学校を卒業するまでその枠組みの中で学習し、多くを学びます。また、学校生活自体で自分の性格や個性も知り、特性上の向き不向きにも気が付いていきます。

用意された枠組みにおける学習がすべて得意で何でもできちゃうという生徒も中にはいますが、普通はそうはいきません。むしろ、与えられた枠組みの中で、好きな科目、得意な科目、嫌いな科目、苦手な科目が生じてきます。

保護者からすると、我が子の学習レベルに得意不得意が目立つようになると「心配」な気持ちが強くなります。それゆえ、苦手を克服させようと躍起になるケースもあるようです。また、人間関係で苦労している生徒の場合にも、どうやったら学校生活をうまく送れるようになるか、心配をすることとなります。

しかし、私個人としては、学校での学習、学びには個人差があって構わないと強く考えています。人間関係についても同様だと思います。無理に集団での生活に馴染む必要も義務もありません。その生徒の好きな環境、向いている環境での生活が一番だと思います。

そもそも子どもは一人一人個性、特徴がバラバラです。子どもも人である以上、当然のことです。その上、学校における学習は、あくまで大人が作った画一的なカリキュラムです。個性の異なる子どもが、画一的に同じことを同じレベルで出来るようになること自体あり得ません。

むしろ、もっと突っ込んで言うならば、私は、学校とは、「自分の苦手、嫌いを知る場」だと思っています。苦手を知ること、嫌いを知ることで出来ないことを知り、その反面、自分の出来ることや好きなことをとことん追求できるようになります。

私も、算数が数学になったころ、どうにも数学は苦手だと気が付きました。半面、英語は得意だったので、そこを伸ばし、うまいこと高校受験を乗り越えました。

また、学校生活を送る中で人間関係をうまく構築できず、悩んだ時もあります。性格的に思ったことを強く主張し過ぎたりするためです。

そうした学校生活を送り、自分の苦手を知り、反面、自分の適性に気が付くこともできました。結果、今の自分があります。やはり学校生活の中で、きちんと苦手なことや嫌いなことを学んだおかげだと思っています。

なので、学校生活上の学習や学校生活については、すべてがすべてうまくこなせる必要はないと思います。その子ども、生徒の特性に応じた成長をしてもらえば、社会に出るころにはきっと一人前の大人になれると思います。最近ではあまりにも学校の成績優秀を求め過ぎ、子どもが本当は「苦手なもの」「嫌いなもの」を覆い隠してしまったりして、逆に成長の機会を奪っているように思います。