通常の学級に在籍する小中学生の8.8%に学習や行動に困難のある発達障害の可能性があることが13日、文部科学省の調査で分かった。2012年の前回調査から2.3ポイント増えた。35人学級であれば3人ほどの割合となる。増加の背景には発達障害への認知の広がりがあるとみられ、個性に応じた支援策の充実が課題になる。
日本経済新聞2022年12月13日
文部科学省の調査結果を踏まえ、上記のような報道がありました。報道では続いて、文部科学省の調査結果の内容を引用し、
発達障害の可能性がある児童生徒
小学生 10.4%
中学生 5.6%
高校生 2.2%
と整理しています。
たしかに文部科学省の調査結果には、「学習面又は行動面で著しい困難を示す」児童の比率をアンケート調査した結果として上記のパーセントで割合が示されていました。
私はこのような報道及び調査結果を見て、以下の2点を感じました。
①進級するにつれ、大幅に比率が下がる理由は何か。
②そもそも小学生の段階で10.4%もの割合を占める「発達障害」なるものは、「障害」と呼ぶにふさわしいのか。
その上で①についてですが、発達障害といっても、決してまったく発達しないということではなく、発達特性やそのスピードが人と異なるというだけであり、年齢と共に周囲の発達状況に追いつくことも多々あることから進級するにつれ、割合が下がるのだと言えます。
また、文部科学省の調査結果には、一人の担任がほとんどの教科を担当する小学校と異なり、中学に入れば専門の教員が付くようになるため生徒の発達傾向の特性に気が付きにくくなったり、さらには高校に進学すると、専攻が細分化されたり、そもそも発達障害の程度が著しい場合には高校に進学しないこともあったりするために割合が下がっているのではないかとの分析が記されていました。
続いて、②の点ですが、これは以前から個人的に感じていたことで、発達障害も結局は個人の特性の問題なので、他人との共存を前提とした社会の仕組みや人々の配慮さえあれば良いのではないかということです。
すなわち、あえて発達障害と言わなくても、ひとりひとりの特性を皆が、社会が把握し、みなが共存できる社会を作れば足りるだけだと思うのです。
そうした社会になってしまえば、わざわざ「障害」なんて言葉はいらないのですから。