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ブラック校則を見つめ直せー大事なのは、話合いの機会が与えられているということ

赤磐市の中学校で、「靴下は白」と決められている校則の是非を問う全校集会が開かれたとのこと。

➀白のまま、②白と黒が選べる、③どちらでもいい、の3つで、➀が最多であったので校則はそのまま維持することになったそうです。

正直にいうと、、なぜ!?という気持ちがないではありません。校則に縛られていた人間からすると、どんどん自由にしたらいいじゃないか、とやはり思ってしまうわけです。そもそも白黒どころか、真っピンクの靴下だって許容されていいはずです。

とはいえ、子どもたちが、自分の規則を自分たちで見つめ直し、話合いの機会を得られたということが大事なのでしょうね。

憲法では、言論の自由、表現の自由を強く保護していますが、これは、民主制の過程を保証するという考えに基づいています。すなわち、各人が自由に考え、その意見を表明し、議論することを保護することで、民主主義を実現するというものです。

今回のニュースでいえば、「校則」を決める過程で、その民主制の過程が保証されたものといえそうです。

私は、靴下は何色だっていいと思っていますが、白色がいいという考え方を否定しません。大事なのは、話合いができることに他なりません。

しかし、➀白派、②黒派の2択ならわかるんですが、➀白派、②白も黒もOK派、というラインナップの中、②のように選択肢が増えるものを拒否する理由はどこにあるんでしょう?

思い返せば、選択的夫婦別姓の議論の際にも、「私は同姓がいいと思うし、他の人も別姓にすべきでない」という考えの人は少なくありませんでした。これも、いわば選択肢が増えることに対する拒否として受け取めることができます。

子どもだろうが大人だろうが、選択肢が増えるということ自体に反対である、という発想は必然的に生じるものなのでしょうか。だとしたら、それはなぜ?

かつてブラック校則に振り回された私ですが、大人になった今も色々考えさせられています。

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