私が中高校生だったころは、ちょうど携帯電話が若者の間で普及し始めた時期でした。
記憶では、「高校生になったら携帯電話を買ってもらう」というような子が多かったように覚えています。
ところが、私の通っていた高校では携帯が禁止!
より正確にいえば、携帯電話は契約してもいいし、家では使ってもいいけれど、校内での使用は禁止というものでした。今でもそういう高校は多いかもしれませんね。
また、私は寮生で、校則とは別に寮の規則も気にする必要がありました。この寮規則では携帯の所持すら禁止。
理由を聞いたら、「インターネットで、怪しい人と会えたりするのが問題だから」「目の前の人としっかりコミュニケーションをとってほしいから」という回答で、何とも言えないモヤモヤが心に広がったのを覚えています。
ただでさえ親元を離れて心細いこともありましたし、色々事務連絡することだってありました。ところが、親とコンタクトをとるには公衆電話を使うしかない!(ちなみに電話は寮内に設置されていますが、廊下にポンと置かれており、周りから会話も丸聞こえです。そして、使用時間も厳格に決められていました。。。今思うと、あれは留置所に近い。。)
家に帰れば家族が待っている自宅生は、自由に携帯電話を使えているというのに、なぜ寮生だけ所持すら禁止なのかという不平等感も強くありました。
高校生活、楽しいことはすごくたくさんあったんですが、今振り返ってもあの規則は不要だったのでは?と思う事の方が多いです。
なんであんなに不自由だったんだろう?なんであんな決まりを守る必要があったんだろう?本当に、あの決まりは子どものためだったんだろうか?
この経験から、私は「ブラック校則」にはものすごく関心があります。
子どもたちに、何となく決められている「校則」が、本当に合理的なものなのか、考える機会があってほしいのです。
子ども時代に、誰かが決めたルールを、なんとなく守らされ続けるという経験を続けていては、「何が正しいか」の判断ができなくなるような気がするからです。
そして、納得できないルールを漫然と守ることに慣れているうち、世の中で起きている不正義を見過ごすこと、自分の尊厳を軽視することを覚えてしまうような気がするからです。
おかしいと思う事にはおかしいと声を上げてよくて、それはワガママでも何でもないはず。
そんなわけで、下記ニュースはとてもうれしいものでした。
民主主義のはじまり、と言うと壮大な話過ぎるかもしれませんが。生徒の、校則を見直そうという動きをつぶさなかった学校もすばらしいです。